活動レポート ニュース&トピックス

2012.03.23 ニュース&トピックス

世界から被災地へ。 被災地から、世界へ。

震災翌朝、明るくなって見えた町は壊滅状態。燻ったようなにおいがたちこめ、頭で理解できないくらい変わり果てていた(2011.12.10 撮影)

東日本大震災から、1年。自らも被災しながら、世界に目を向け続けるひとたちがいます。 ハンガー・フリー・ワールド(HFW)に寄せられた、その想いの一端をご紹介します。

震災直後に届いた、被災地からの、たくさんの書損じハガキ、募金

「津波で(多くが流されましたが、)運良くこれは残りましたので、少しですが送ります」と手書きされた封筒が、3月下旬に宮城・気仙沼から届いた。宮城・多賀城で被災した女性からは、「勤務先と車が水没。避難所で食べた乾パン1枚に気持ちを救われました。支援ってこういうことだと実感。震災後もひとつぶ募金を続けます」と。ほかにも多くの書損じハガキや募金とともに、「これからも会員を続けます」というメッセージが届いた。

2009年から、宮城・気仙沼で、「ハンガー・フリー気仙沼」の代表として、またHFW会員として、食の大切さと飢餓の現実を伝えながら募金活動を行ってきた昆野結花さん。津波に自宅と仕事場を流されながらも、4月にはHFWに寄付金を送り、その後も会員としての活動を続けています。

あの3月11日、防災無線の大津波警報を聞いた昆野さんは、車で高台へ逃げようとしました。しかし、その時すでに道路は渋滞で動けない状態。ご主人の機転で海側へ逆走し、魚市場の屋上に避難したそうです。

「渦潮に大型の船が次々と飲み込まれていきました。流出した重油が燃えはじめ、津波に流された船などの漂流物が魚市場の柱にゴーンゴーンとぶつかってきたとき、命の危機を現実に感じました。津波が引いたわずかな時間を見測って、重油の海に腰までつかりながら高台へやっと逃げられたとき、安堵で腰が抜けました」。

3日間で、災害FMを立ち上げ

翌朝から、ご主人が経営する漁業無線会社の従業員や知人の捜索、水・食料の調達に必死の毎日だったそう。と同時に、町の防災無線が壊れ、多くの人が不安を感じていることを案じたご主人は、家業の漁業無線を生かして災害FM放送局の立ち上げを発案。気仙沼市の支援を受け、ご主人がかかわるNPOまちづくりセンターが主体となって、発案から3日後の3月22日には放送を開始しました。

支援は、気持ちを奮い立たせる。
自立が、気持ちを前に向ける

こうした怒涛の日々を過ごす昆野さんが、はじめて希望を感じたのは、外からの支援が町に入ってきたときだったといいます。

「復興支援の垂れ幕を見たとき、はじめて自然に涙がこぼれました。自分の力をはるかに超えた苦難に出会ったとき、見知らぬみなさんからの支援は、現実の困難を取り払うとともに、私たちの中の不安を掻き消し、生きる力を奮い立たせてくれました。支援の後ろにある応援の気持ちが、何十倍もの大きな希望として届くことを、身をもって知りました」。

現在、昆野さんご夫妻は、災害FMの活動をサポートしながら、気仙沼市内の仮事務所で家業を再開しています。

「いろいろあったので、少し休もうかとも思いました。けれど、FMの仲間、従業員のみんなも私たちも、地域の復興に尽力すること、働くことで、暗くなりがちな気持ちが前向きになったのです。こんな風に、少しずつ前に進みだせたのも、たくさんの方からのご支援があったからと、心の底から感謝しています」。

あらためて知った、食の大切さ

震災によって、生まれて初めて食べものがたやすく口に入らない経験をしたという昆野さん。そんな中でも、食べる時はみんなで笑いながらおしゃべりしていたそうです。

「若い子は『肉たべてぇ~』と久しく見ないお肉に憧れていました。そして、みんな口をそろえ『今まで贅沢だったね』『恵まれすぎていたね』などと反省もしたりしました。食事に恵まれない状態が、生まれた時からずっと……そんな国がいまもたくさんある。その国の人たちがどんな気持ちなのかと測り知ることはできませんが、食事のままならない生活の不安は、少しだけ体験できたのかもしれません」。

恩返しがしたい。
世界中の人とつながっていたい

ハンガー・フリー気仙沼のメンバーと協力者のほとんどは、家を流され、中には亡くなった方もいらっしゃり、以前と同じようにHFWの活動を続けるのは無理だと昆野さんは感じています。

「でも、少し落ち着いてから、ひとりでもふたりでも出来ることをしようと決めました。なぜか……私たちも震災で、誰に返したらいいのかわからないくらい、たくさんの手を差し伸べて頂いたからです。HFWを通じて、世界のみなさんとつながることで、あたたかい支援の輪が、もっともっと広がっていけばと思います」。

けせんぬまさいがいFM事務所前にてスタッフ集合。「地域のために活動することは、自分たちの生きる力にもなっています」

炊き出しの様子。給水車からペットボトルに水を入れてもらって、冷たいおにぎりを半分ずつ分けあったことも

ハンガー・フリー気仙沼の募金箱。震災以降、唯一無事だった、メンバーの洋品店に設置

昆野結花(こんの・ゆか)さん

「世界中からのたくさんの支援に、つよく勇気づけられました。被災地の私たちが、世界を応援することで、あたたかい気持ちの連鎖が、もっと広がれば……」