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民主化の第一歩「国民会議」の開催から15年以上が経過した今、民主化はどのように根付いているのでしょうか。2007年3月に行われた議員選挙から透けて見えるベナンの現状を、西アフリカ各国の民主化を専門に研究している、筑波大学大学院・人文社会科学研究科講師の岩田拓夫氏に語っていただきました。
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歌にもなった、国民会議 
― ベナンの民主化が持つ、最も大きな特徴は何でしょうか。
岩田 何より大きな特徴は、欧米からの押し付けや、特定の人物の独断ではなく、市民が参加して国のあり方を考えた「国民会議」よって民主化を勝ち取ったことだと思います。
1990年に国民会議を経て民主主義が導入されてから、選挙で暴動が起るなど、何回か民主主義がくじけそうになることがありました。そんな時は、「国民会議を忘れたのか!」という声が人々から上がり、暴力ではなく話し合いによって問題の解決が図られています。国民会議を通じて、自分たちの手で民主化を勝ち取ったという思いが強いのです。
― 2007年3月の議員選挙の時にも、それが感じられましたか?
岩田 2006年8月の渡航以来、7ヵ月ぶりにベナンを訪問しました。議員選挙では、選挙管理委員会の問題で投票日が数日延期になったり、投票時間が多少遅れた地域があったにも関わらず、投票率は50%を超えたそうです。2006年3月に行われた大統領選挙の投票率75%に比べると低く感じますが、議員選挙ではそれでも高い数字です。独裁的な国の場合は、投票率が20〜30%台ということもよくあります。ベナンの場合は「自分たちが次の指導者を決める権利を持つ」という意識が高いため、多くの人が選挙に足を運ぶのでしょう。
ちなみに2006年の大統領選挙の際、テレビやラジオの選挙番組では、ベナンのトップ歌手ネル・オリバーの「国民会議賛歌」という曲がテーマソングとして使われました。選挙は民主主義の象徴です。選挙について伝える番組のテーマソングが国民会議にまつわる曲だということからも、ベナンの民主化と国民会議が切っても切り離せない存在だということがわかります。
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マイナスをプラスに変えた、ベナンの人たち

― 他の西アフリカ諸国でも国民会議が行われたと聞いています。
岩田 開催年の古い順から、ベナン、ガボン、コンゴ(共和国)、トーゴ、マリ、ニジェール、ザイール、チャドの8ヵ国で国民会議は開催されました。その中で、国民会議を通じて民主化に成功したと純粋に呼べるのは、ベナンだけです。そのことから、ベナンの人たちには「アフリカの民主主義を引っ張っている」という意識が強くあり、選挙の前になるとそのような記事が各種メディアに掲載されます。
― なぜ、ベナンの国民会議は成功したのでしょうか。
岩田 1つは、国民会議の主権をケレク大統領が認めたことです。これによって、国民会議で決められたことが実効性を持つようになりました。とはいえ、アフリカにおいて独裁者が権力を手放すことは死を意味するため、独裁者はなかなか権力を手放しません。そこで、国民会議にて「ケレク大統領個人の責任は問わず、地位を保証する」という取り決めを採択したのです。これは英断でした。
また、当時のケレク政権は疲弊しきっていたため、国民の要求を力で押さえつけることができなかったという事情もありました。
加えてベナンにとって幸運だったのは、ベナンがアフリカで国民会議を開催した初めての国だったということです。他のアフリカ各国の独裁者たちは「ベナンのようにはなるまい」と、開催を認めなかったり、妨害したり、会議後も権力の座に居座ったりと、さまざまな手を尽くして民主化を阻止しようとしました。
― ベナンには、とても幸運な要素が多かったように感じますね。
岩田 これまでは国にとってマイナスに働いてきた要因が、民主化を進めるにあたってはプラスに転じています。例えば、大統領の独裁によって国が疲弊していたことは人々に厳しい生活を強いていましたが、そのために国民会議の開催が力で潰されることはありませんでした。
また、ベナンでは植民地時代から北部、南東部、南西部の3地域に分かれて対立が続き、政治がなかなか安定しませんでした。しかし、対立の歴史を通じて、何か物事を決めるためには話し合って、意見のすり合わせを行わなければならないことがわかったのです。このことは、民主化の定着にも大きく影響しています。
― 他の国でも、同様のプロセスで民主化は達成できるのでしょうか。
岩田 誤解を恐れずに言うと、国民会議はやらないに越したことはありません。なぜなら、非常にリスクの高い「文民革命」のようなものだからです。ベナンでは民主化をもたらしましたが、他の国で見られたように、紛争や二重政府状態に陥る可能性もあります。
クーデターや独裁といった対立の歴史を持ちながら、それを対話へと変えて民主化に成功したベナンの例は、民主化を進める他のアフリカ各国に差し込む光だと思います。ベナンの人たちと話をすると、「民主化のお手本」と呼ばれることを誇りに感じていることが伝わってきます。国民一人一人がここまで民主主義について語れるのか、と驚かされることもしばしばです。
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自分で何かを決めるという風土が、何よりの財産

― きちんとしたプロセスを経て民主化を達成しているからでしょうか。
「やればできる」という感覚がベナンの人たちにはあるように感じます。
岩田 その通りだと思います。例えば昨年、ダムの水不足によって電力の供給が不安定になってしまったことがありました。アフリカでは普通ならあきらめるところですが、国民がそれに対して抗議行動をとったため、担当大臣がテレビ、ラジオなどのマスメディアの前に現れて謝罪を行い、今後の方針をきちんと説明したのです。
大切なのは、言いたいことを人目を気にせずに言えることと、自分の意見を言うことができることです。意見が出されれば、何らかの形で責任を取るべき人の耳に届く可能性がありますから。
― 国民会議が行われたのは、1990年。
若い世代へはどのように受け継がれていますか。
岩田 もちろん、学校では歴史の授業で国民会議についてきちんと教えています。また、ダホメー王国時代から伝わる、「穴の空いた壷に水を満たすために、人々が協力して穴をふさごうとしている」意匠が、国民会議のシンボルとして広く知られています。目的を達成するために国民が協力し合うことは、ベナンの人たちの伝統なのかもしれませんね。
― 同じように国民会議を行いながら、圧政が続く国との違いはありますか。
岩田 そのような国では、「何をやっても仕方がない」「独裁者が死ぬのを待とう」という風潮を感じます。ベナンには、何か不満があればきちんと口に出して自分たちの力で解決していこうという風土が根付いています。
― 私も、現地調査に行って事業対象の村を訪問する時などにそれを感じます。ただ待っているだけではなく、色々なアイディアを持ち寄ってくれるのです。いつまでも支援を受け続けるのではなくて、自分たちで変えていこうという前向きな姿勢を感じます。お互いに刺激し合いながら、これからも向上していきたいと思います。
岩田 他のアフリカ各国と比べて、物質面でベナンにしかないものはありません。でも、あらゆる面で自由な発想ができ、自分たちで何かを決める風土が根付いていることは、何よりも大きな財産です。加えて強調できることは、国外にも目を向けている点。他国と自分たちとを比較をしながら物事を考えられることは、地域や国の開発や、経済の発展に繋がってくると思います。
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