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特集 "黒人初の共和国"ハイチ

INDEX
トークセッション1
トークセッション2
佐藤文則氏 講演
セインティル・ラゲール 講演



スピーカー

佐藤文則(さとうふみのり)氏
佐藤文則
(さとう・ふみのり)氏

フォトジャーナリスト。1988年からハイチ取材を開始。これまでに約20回の現地取材。他に米国、東南アジア諸国を中心に活動。現在、フォト・エージェンシー「アジアワークス」所属。著書に『ダンシング・ヴードゥー ハイチを彩る精霊たち』(凱風社、2003)『ハイチ 圧制を生き抜く人々』(岩波書店、2003)など。



セインティル・ラゲール氏
Saintyl Laguerre
(セインティル・ラゲール)

HFWハイチ支部事務局長。1964年ハイチ、ポルトー・プランス市生まれ。ハイチ大学でコミュニケーション論を学び、ジャーナリストとして活動。1994年HFWの青少年組織ユース・エンディング・ハンガー(YEH)ハイチを設立し、YEHハイチの代表として活動を続ける。2000年HFWハイチ支部設立とともに、事務局長に就任。





ハイチの略史&概要 >>
ハイチ独立200周年記念 HFW講演会録(2004年11月3日、東京・代々木)
トークセッション 佐藤文則氏×セインティル・ラゲール
〜奴隷制度から独立戦争を経て
16年にわたりハイチ取材を続けるフォトジャーナリストの佐藤文則氏と、 スラム街で医療活動を行うセインティル・ラゲールHFWハイチ支部事務局長を迎え、ハイチにとって独立とはなんだったのか、 そして未来のためにできることはなにかを語っていただきました。

奴隷制度からの解放から始まった独立戦争

西海:まずは、ハイチの独立にまつわる事実を振り返りたいと思います。

セインティル:先住民が絶滅した後、フランスは17世紀、アフリカから現在ハイチのあるイスパニョーラ島に奴隷を連れてきました。彼らはプランテーションで働かせられ、ちょっとした間違いを犯しただけで殺されたりしました。そして、島は世界で最も豊かなフランスの植民地となりました。

(ハイチ人は)この体制と戦うために軍隊を組織。1804年に独立を果たし、ラテンアメリカ諸国が抑圧者たちから自由を求めるきっかけとなりました。


佐藤:ハイチの独立戦争のおこりは1791年、“ブックマンの反乱”という奴隷の蜂起であると言われています。このときは独立することは考えておらず、奴隷の身分から解放されたい一心での戦いでした。しかし、フランスが奴隷制を復活させようとして、独立戦争にまで至ってしまったのだと思います(1793年奴隷制廃止宣言)。また、自由と平等という概念はありましたが、現在のように民主主義が叫ばれている時代ではありませんから、一方的なフランス支配から逃れるのが一番の目的だったと思います。

ハイチ独立は植民地を抱える欧米諸国には限りなくショックな出来事だったと想像できます。スペインなどは、すべての利権を失うよりは、奴隷制を廃止し、仮の独立をさせて、間接的な経済支配をしようという方針に変わっていきました。

セインティル:私もその通りだと思います。独立後、ハイチは発展する機会が与えられませんでした。欧米諸国から孤立し、現在に至っています。

独立の話がとても好きなハイチ人

西海:ハイチ人は、独立について誇りを持っているのでしょうか?

セインティル:50年くらい前までは、とても名誉に思っていたようです。しかし、現在の貧困をみると、誇りとは思えなくなっています。あまりにも早く独立してしまったと感じている人々もいます。

佐藤:ハイチ人は独立の話を昨日の出来事のように話します。200年前に独立した良し悪しは別にして、早い独立が「ハイチ人」という意識を深く形成したと思います。私がカリブ諸国で訪れた国は3〜4ヵ国ですが、民族意識が高いと感じたのは、キューバとハイチ。経済的には恵まれていませんが、戦いにより自分たちの力で自由を獲得した、そんな自負心があるのだと思います。

同じくカリブ海にあるマルティニック島は、今でもフランス領で、抵抗しましたが独立できませんでした。そのため、現在のハイチと比べると、フランスから経済的や教育的な面での恩恵を受けることが出来る利点があります。しかし、その反面、マルティニックの人びとはハイチのアフリカに根ざした中身の濃い特有な文化を大変うらやましく思っているという話を聞いたことがあります。

独立直後から存在した黒人、混血、白人の階級の格差

西海:現在ハイチは中南米の最貧国です。国づくりを担う人々が理想を失ったのはなぜでしょうか。

セインティル:この質問は多くの人が感じていることでしょう。まず独立直後、すべての階級が協力し合えなかったこと。白人と黒人の混血のムラートと呼ばれるエリートクラスの人々が、入植者たちの富を引き継ぎ、新しい体制を作りました。そして、貧富の格差が生じました。

また、ハイチはずっと独裁者か軍によって支配されてきました。彼らは、まったく人々のニーズについて考えていませんでした。


佐藤氏:すべての人が同等の出発ではありませんでした。ムラートは以前から大きな勢力(独立前からすでに土地や財産の所有を認められていた)でした。対抗する黒人の軍の将軍たちも大きな力を持っていました。独立後、北部は黒人の将軍、南部はムラートの将軍が統治する体制に分かれ、国内でもかなり緊張した状態が続きました。

またフランスが再び攻めてくるかもしれないという恐れもあり、独立に貢献した一般の黒人のために政治を行うというより、力による専制的な政治で国をまとめようしたのではないかと思います。そして、専制や独裁政治といっても、すぐに政権が変わってしまう。長期的な政策を行おうとしても、何も成し遂げることができないのです。

そして都市部に重きをおいた政治・経済政策ばかりで、地方と都市の経済格差が拡がりました。今もハイチの田舎に行くと、果たしてハイチに政府が存在するのか、あっても無くても同じことではないかと思うことがあります。それほど都市部と地方は分離しています。

セインティル:佐藤さんはハイチのシステムについて、よくご存じですね。ポルトー・プランスでは、豊かな人は山の上に豪邸を建てて住んでいますし、大半の貧しい人はスラム街に住んでいます。これがハイチの現実です。

続く >>


トークセッション1 〜奴隷制度から独立戦争を経て | トークセッション2 〜クーデターに見舞われた独立後の200年
スラム街の友人たち 佐藤文則氏 講演 | HFWハイチの活動紹介 セインティル・ラゲール 講演

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