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NO.3 アンソニー・ナニュンバさん
「2002年は、とてもすばらしい年でした。9月に長男マシューが生まれ、息子と新年を祝うことができます。息子もHFWの一員です。自分はボランティアだけど、息子にはぜひHFWで働いてほしいと思っています」。母国ウガンダで自動車整備会社設立を目指すナニュンバさんですが、自身もNGOに就職を希望した時期があったそうです。
ナニュンバさんが生まれ育ったのは、ブゲンベという小さな町。仕事がなくブラブラしている若者がたくさんいました。学生時代、地域のために何かできないかと、副大統領である叔母さんに相談すると、活発な青少年組織を持つHFWのことを知らされます。HFWのような青少年を大切にするNGOに就職したいと思いましたが、学校を卒業するのが先と叔母さんに諭され、勉学に励んでいました。 その後、自動車の理論について学び、1995年に実技習得のため来日。今日に至ります。 日本に来てからもNGOへの興味は持ち続けていましが、どこに連絡をすればよいかわからないままでした。「しかしある日突然、日本でウガンダのために働けるドアが開いたのです」。「2001年8月、在日ウガンダ人協会を設立することになり、ウガンダ大使館を訪れるとHFWウガンダ担当の吉田千代子さんと、来日中のHFWウガンダ職員のムザヤ・ゴッドフリーさんに出会ったんです」。吉田さんは大使に在日ウガンダ人の方を紹介してほしいと頼んでいたのですが、ナニュンバさんにとって、それは運命的な出会いでした。それから、HFWのウガンダチームに参加し、隔月でウガンダを支援するチャリティパーティを主催。当初4名のチームは、現在日本人を含めて20名近くの強力なチームになりました。ウガンダの料理と文化を楽しみ、支援もできるパーティは大好評で、参加者が次回の企画メンバーになっていることも。ナニュンバさんにとっても、日本人とコミュニケーションでき、また飢餓やウガンダについて話ができる大切な場になっているそうです。
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