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釜我亮次さん
1979年、長崎市生まれ。東京大学農学部卒。応用微生物学を専攻。YEHグローバル事務局バングラデシュ担当、総務チーム、後楽園チーム、問い合わせ担当などYEHのさまざまな活動で活躍中。現在、政策研究大学院大学政策研究科で開発政策プログラム専攻。
釜我亮次さん 貧富の差に慣れ始めてしまった自分を発見したんです。“ビルの下にスラム街”この景色がバングラデシュだって。
−バングラデシュを2回訪問して

「からっぽの大学生って俺のこと?」 「大学3年生のとき、ふと『からっぽの大学生って俺のこと?』って思ったんです」。釜我さんは、大学進学で一人暮らしを始めた頃は、友人とひと晩かけて山手線を歩いて一周したり、上野の西郷隆盛像に登ったりと、かなりハメをはずしたとか。しかし、東京大学農学部で課題の研究に追われるようになると、急にあせりを感じ始めたと言います。思えばこれまでも勉強が好きだったわけではなく「ほかに没頭することがないから勉強していた」だけ。大学も学部もなんとなくの選択。釜我さんのなかで「他の世界を知りたい」という思いが強くなってきました。そんなある日、国際協力NGOを紹介した本を手にします。「NGOって漠然とあやしいイメージもあったけど、行ってみないと分からない。そこで、学校から一番近いHFWに連絡したんです」。その後、2002年のYEH全国会議に参加して、深く関わることを決めたそうです。
「大学生だけのグループはたくさんあるけど、中学生も大学院生も一緒に活動しているのは珍しかった。それにみんな真面目に、でも楽しそうに、とにかく真剣に話し合っていておもしろそうだと思いました」。

あやしいと思っていたNGO。始めてみたら2回もバングラデシュを訪問。
バングラデシュスタディーツアーにて、農村の生活を体験 活動を始めて半年後の2002年8月、バングラデシュスタディツアーにも参加し、あまりの貧富の差に愕然とする釜我さん。しかし2003年3月にバングラデシュを再訪したときに見たのは「貧富の差に慣れ始めている自分」でした。「"ビルの下にスラム街"、この景色がバングラデシュだって。2回目で慣れてしまうのだから、そこで暮らしていたら疑問すら持たないかもしれない。それなのに貧困をなくそうと努力している現地の人のパワーは、すごいと改めて思いました」。
現地メンバーとは「なかなか活動が広まらないよ」と悩みを共有できた一方、強い刺激も受けたとい言います。養魚を始めた男の子に失敗は怖くないか尋ねると、やらないと現状は変わらないからという返事。「自分だったら、こんな勇気を持てるか自信ないな」。

将来について悩める23歳
YEHのミーティングではするどい発言を放つ一方で、新しいメンバーに誰よりも丁寧で優しく対応。世界のYEHの活動をまとめる一方、総務も担当して発送作業などの雑務もこなす。どんなことでも悠々とこなす釜我さん。今はYEHでバングラデシュを担当し、ますます積極的に活動しています。「日本のメンバーは、知識も問題意識もあるけど、バングラデシュより行動できていないと感じています」。
飢餓をなくそうとしたら、政治や行政との関係は避けて通れないと、現在1年間の政策研究大学院大学に通う釜我さん。卒業後は? という質問に、しばし沈黙。「悩んでいるんですよ……。議員会館でインターンもしたし、政策秘書の資格も取るつもり。でも、政治や行政といってもいろいろな役職があるし。今、悩んでいる最中です。」 (2004.5)

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