スタッフの声〜山崎 健太 : 飢餓のない世界を創る国際協力NGO ハンガー・フリー・ワールド HUNGER FREE WORLD     

スタッフの声〜山崎 健太

山崎 健太

事務局長
民間企業に通算20年あまり勤務、その後食料支援関連のNPOを経て現在HFWで事務局長を務める。


HFWに入職するまでの経緯を教えてください

大学の同級生が食料支援を行う国連機関に勤めていて長年アフリカ諸国で働いており、彼がときどき日本に帰国した際に仕事ぶりを聞いていたのですが、世の中にはこんなに素晴らしい仕事があるのだと、当時民間企業でマーケティングや経営企画に従事していた私は思っていました。開発の専門家ではないので自分には縁がないだろうと考えていましたが、ある時マーケティングの経験を活かせるということで、食料支援関連のNPOでファンドレイジングのマネージャーを務める機会を得ました。そこは大きな組織との関係があって網羅的かつ最新の情報へのアクセスも出来たため、食料支援について本当に多くのことを学びました。ただ直接の支援の現場のない仕事だったので、支援者の方の想いと受益者の方の幸せとをつないで両輪を回していくような支援の理想形を、どこでどう実現できるのだろうかと考えるようになりました。そんな経緯があってHFWに入職しました。HFWは比較的小さな組織なので一人で何役もやらなくてはならないのですが、だからこそこれまでのいろいろな経験を、さまざまな場面で活かすことが出来ると思っています。

実際に何度か海外出張に行かれましたか?

2022年のうちに3か国行きました。5月にウガンダ、6月にバングラデシュ、11月にベナンです。英語が特別出来る訳ではありませんが、むかし米国の大学院に留学していたことがあり、太平洋に面したアジア地域での仕事をする機会があるとは思っていました。それが、南アジアであったり、アフリカであったり、ふだんなかなか行く機会のない国を訪問して、その国のコミュニティの中にまで立ち入って人びとと仕事をしていくというのは、当時想像がつかなかった展開ですね。これは本当に余談ですが、もともと私は地理が好きなんだと思います。世界中にはいろいろな国がありますが、子どもの頃に「オートボルタ」という国があり、それがある時「ブルキナファソに変わりました」というニュースを見て、国の名前が変わることなんてあるんだと、ものすごく衝撃を受けました。だって日本ってずっと昔から日本じゃないですか。いわば、日本の常識はもしかすると、世界では常識ではないかも知れないことを知った瞬間だったかも知れません。そのことはずっと覚えているのですが、今まさにブルキナファソの仕事をしていて、こんな形でつながったのかと個人的には感慨深いものがあります。政変の影響で出張できていないのですが、2023年は首都ワガドゥグの事務所とヴォセ村・ワルドゴ村の新しい事業地の訪問が出来ることを期待しています。

心が揺れうごいたエピソードはありますか?

バングラデシュの女性グループのディスカッションでの、出席者の熱心な姿ですね。さまざまな広報の機会でもお伝えしていますが、HFWバングラデシュではいま、カリガンジ・ボダの2つの事業地のコミュニティで女性のグループを形成し、女性たちのエンパワーメントを通して、人びとの自立の手助けをする活動に力を入れています。特に女性たちの中でもリーダー的な人が30名ほど集まって議論をするという場があり、カリガンジ・ボダのそれぞれで訪れることが出来ました。女性たちは早朝から農業や家事をした後、家が近い人は徒歩で、遠くの人は「オートリキシャ」に乗って、これまで長年の日本の皆さまからHFWへの支援で作られた集会施設に午前10時ごろ集まり、自分たちのコミュニティを良くしようと真剣に意見を出し合います。本当だったらみなさんお疲れのはずなのに、6月のバングラデシュの昼間の室内は30度を超えるなか、室温以上に白熱した話し合いが、唸るような音をたてて回る大きなシーリングファンの下、予定時間をオーバーして夕方まで行われていました。終わったら今度は晩御飯の準備に、急いで家へと帰られていました。

心が揺れる話とはちょっと違うかも知れませんが、ウガンダの製粉所のオープニングセレモニーも結構すごい出来事でした。4つの協同組合のメンバーだけでなく、村長から県の代表者から軍人みたいな人まで総勢200人くらいいて、朝から午後までかわるがわる皆さん延々とスピーチをするという。更にはウガンダで盛んなMDD(ミュージック・ダンス・ドラマ)の出し物まであって。まるで盛大な結婚式のような催しでした。そのスピーチをやる人のリストを見ると私の名前も入っていて…しかも私以外に日本人は誰もいなくて、あたかも日本を代表してスピーチを行うことになったのです。あまりにも人数が多いので、むしろ緊張してもしょうがないと割り切ってやりました。私が英語で話して、それをHFWウガンダのカントリーディレクター(支部事務局長)のロバートが現地のガンダ語に訳して、という形で進んでいったのですが、最後に私が簡単なガンダ語で締めの言葉を言ったら、ウガンダの人たちにめちゃくちゃウケてすごく盛り上がってくれました。外からやってきた私を含めて場がひとつになったような瞬間、良かったですね。

今後の目標などやりたいことはありますか?

HFWの活動国のうち、ベナンとブルキナファソはフランス語圏ですので、少しずつフランス語の勉強をしています。正確には、大学の時に第二外国語としてフランス語を取っていたので、30年ぶりの学び直しです。ただ意味が通じるだけではなく、活動国のスタッフや受益者の方々の心情をもっと汲み取ることが出来るようになると、より良い支援を行っていくうえで理想的だと思っています。もっとも、先日のベナンでも全然聞き取れないレベルで、まだまだ先は長そうです。HFWベナンのファトゥはフランス語と現地のフォン語に加え英語が出来るので、結局彼女の通訳に頼りっぱなしになってしまいました。

ご支援いただいている方々へメッセージをお願いします

HFWの各国のスタッフは親切で献身的です。そしてどの国の受益者の方々も、日本のみなさまからのご支援にとても感謝されています。事業地に行くと、みなさまからのご支援が人々の心の中で形になっていることを実感できます。支援の成果は確実に現れていて、従来から活動してきた場所では恒常的に飢餓のない状態が実現しようとしています。日本の支援者のみなさまにはどうかこれからも応援してくださればと思います。改めて宜しくお願いいたします。

(2022年12月 インタビュー:広報定期ボランティア 大嶺)