食べて生きる―関口和孝 : 飢餓のない世界を創る国際協力NGO ハンガー・フリー・ワールド HUNGER FREE WORLD     

理事長 関口和孝

病気によって
飢えの苦しみを経験
HFWでの活動を
始めるきっかけに

関口和孝(せきぐちかずたか)
ハンガー・フリー・ワールド 元理事長


関口さんは26歳からの3年間、1ヵ月から3ヵ月の間の入退院を繰り返していました。病名は、潰瘍性大腸炎。一説には食生活の欧米化が関係しているとも言われていますが、原因がはっきりとわかっていない難病。昔は、日本にみられない病気でしたが、現在は国内の患者数は約17万人、毎年増え続けています。関口さんに当時の体験を語っていただきました。

夢の中でも食べることができない苦しみ
「完治するような治療法がないので、症状がひどくなると、とりあえず腸を休ませるために入院して絶食します。栄養分と水分は点滴で摂取できます。でも、食べ物を口にしていないと、人間は空腹感に襲われるんです」。数ヵ月も、食べたくても食べられない辛さに耐えなければなりません。入院中は、寝ても覚めても食べ物のことが頭から離れなかったと関口さんは振り返ります。「夢の中でも、自分が手をつけていないのに、食事が下げられてしまうんです」。
 点滴台を引っぱって、病院の食堂のショーケースを眺めることが、入院中の日課に。退院したら必ず食べに来るからな、とエビフライに語りかけたことも。同じ病室の人がおいしそうにせんべいを食べていた時には、「いい加減にしてくれないか。食べるなら外で食べてくれ」と激怒。温和な関口さんには考えられない行動です。どうしても我慢できなくて、アイスクリームを隠れて食べたことも。「あのイチゴ味、おいしかったなぁ」。
 2002年、ついに大腸の摘出手術を決断。危険な手術でしたが、無事に成功して、関口さんは日常生活を取り戻しました。「飢えている時に食べたいと思っていた料理も、退院して自由に食事ができるようになると。あまり食べたいと思わなくなります。もう苦しみを忘れて、他人事になってしまうんでしょうね」。
 しかし、関口さんが忘れなかったことがあります。それは、飢えた子どもたちの姿でした。「小学生の頃から、世界には、飢えで苦しむ人がいることは知っていました。食べられない経験をした時、彼らの姿が思い浮かんできたんです。それまで知識として知っていただけの飢えた人たちの気持ちが、病気を通して理解できた気がしました。そして、自分が彼らを助けずに誰がやるんだ、と使命感が沸いてきたんです。自分は、まだ恵まれている。いくら空腹でも病院にいて栄養はとれているし、死ぬことはないんだから、と思っていました」。

自分の子どもが飢えていたら、と考える
 2003年に長女が誕生すると、ますます思いが強くなったそうです。「貧しい国々の飢えに苦しむ子どもたちと、お腹いっぱい食べて、笑顔で遊んでいる我が子の姿が重なります」。2004年に、“飢餓のない世界をつくる”という、まさに関口さんと使命を共にするHFWに寄付を始め、入会。2005年からはボランティア活動も始めました。「もし自分の子どもが飢えていたら、僕はどんな手段を使ってでも助け出すでしょう。僕にとっても、食べられないこと、飢餓は見過ごせない問題なんです」。

(2006年 ハンガー・フリー・ニュース73号 インタビュー記事より)

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スパゲティナポリタン、銀ダラ、長浜ラーメン…。入院中にノートに書いた、食べたい料理リスト

レンコンのはさみ揚げ

レンコンのはさみ揚げ。関口さんが退院時後に「うまいなぁ」としみじみ感じた、奥様の愛情たっぷりの品。サクサクしたレンコンとや柔らかい挽き肉の食感のバランスが絶妙