特集

2007.10.04 Special Issue No.16

ベナンの財産 ~民主化が生んだ、自らの道を切り開く力~

ベナンの財産 ~民主化が生んだ、自らの道を切り開く力~

支援によって貧しい人たちの生活が改善されるのは、それを必要とする人たちに支援が届いてこそ。
私たちが十分な現地調査を行ってから開発支援に取り組んでも、
受け入れる国に貧しい人たちの意見が反映される民主的なしくみがなければ、
必要としている人たちに支援は届きません。

「アフリカにおける民主化のお手本」と呼ばれるほど民主主義が定着しているベナン共和国。
2007年4月に準支部から支部に昇格し、より一層活動の広がりが望まれるHFWベナンには、
大きな成果が期待できそうです。


アフリカにおける民主化のお手本、ベナン

アフリカの多くの国々は、ヨーロッパ各国に植民地として支配されたり、独裁者による統治を受けていた歴史を持ちます。ベナンも例外ではなく、フランスの植民地時代を経て、独立後にも19年間にわたる独裁に苦しんだ時期がありました。 そんな歴史を持ちながら、市民の力で民主化を果たしたベナンは、「アフリカにおける民主化のお手本」と呼ばれています。それはベナンの人たちにとって大きな誇りであるとともに、民主化に取り組むアフリカ各国の希望となっています。


導入された民主的な “制度”

ベナンがフランスの植民地から独立を果たしたのは、1960年。アフリカ大陸で17ヵ国が独立を達成したことから、「アフリカの年」と呼ばれる年のことでした。独立したアフリカ各国は、民主的な憲法や、選挙の制度を取り入れていきます。これは、アフリカを支配していたヨーロッパ各国の「すみやかに、アフリカの人々に権限を引き渡したい」という考えと、アフリカ各国の「真の独立を早く定着させたい」「独立した後の統治の正しさをアピールしたい」という考えが一致したためです。ベナンでも、フランスをモデルにした憲法と、司法、立法、行政の三権分立を基本とする大統領制が採用され、人々は民主的な統治の始まりに大きな期待を持ちました。


アフリカ各国で軍事政権が乱立

ところが、人々の期待とは裏腹に、ベナンは武力による統治の時代を迎えます。民主的な憲法や、選挙の制度が導入されていたとはいえ、実際には1つの政党が国を治め、その権力を巡って北部、南東部、南西部の3地域に分かれて対立が続いたためです。このような争いは、独立以来 12年間で5回ものクーデター(武力によって政権を奪うこと)を招きました。対立をなくすための苦肉の策として、3つの地域から2年ずつ順番に大統領を選出する制度が取り入れられたこともありました。しかし、この制度もクーデターで廃止に追い込まれるなど、武力による権力争いは終わる気配を見せません。

国外に目を向けてみても、ベナンと同じ頃に独立を果たした、トーゴ、ガーナ、シエラレオネ、ブルキナファソなど多くの国々でクーデターが起こり、武力で国を治める軍事政権が生まれていました。


クーデターの終焉は、独裁の始まり

1972年に、ベナンは1つの転機を迎えます。政権の座に就いたケレク大統領が、独立当時の「ダホメー共和国」から「ベナン人民共和国」に国名を変え、マルクス・レーニン主義を導入。独裁体制を整え始めたのです。政府は国民を警察や軍隊による監視の下に置き、集会を禁止。人々は行動や言論の自由を失いました。

ケレク大統領による独裁政権は、その後19年間に渡って続きます。この間、圧制に耐え切れなくなった優秀な人材が次々と国外に出ていってしまったり、必要以上に公共部門を拡大したりしたことでベナンの経済は低迷。人々は毎日の衣食住にすら困るような生活を強いられました。