食と栄養の現場から考える~渡貫淳子さん : 飢餓のない世界を創る国際協力NGO ハンガー・フリー・ワールド HUNGER FREE WORLD     

食と栄養の現場から考える~渡貫淳子さん

渡貫淳子さん

極限の地では、食事は「心」を支えるものに。
めいっぱい「食」を楽しめるようにする一方で、
環境への負荷をいかに減らすか、大きな課題と奮闘

渡貫淳子(わたぬきじゅんこ)さん
第57次南極観測隊料理人


顔の見える誰かのために料理を作りたい
2003年の新聞記事で南極観測隊に同行する女性の報道記者の存在を知り、その後2009年に映画『南極料理人』を見て「南極で任務を果たす隊員たちのために料理を作りたい!」と熱烈に思いました。もともと料理の仕事をしていたのですが、かねてから寮母さんのように、顔が見える誰かのために料理を作る仕事がしたい、と思っていたので、これはまさしく自分のスキルと資格が生かせる仕事。「南極料理人になりたい」という思いでいっぱいでした。不思議と不安やプレッシャーはありませんでした。それから情報収集をし、3回目の挑戦で採用が決まりました。

食べることは精神的な安定をもたらす 心がけたことは、食材がなくなる不安を与えないこと
2015年の出発までに過去の食材リストを読み込み、もう一人の料理人の方と3~4ヵ月かけて約2000品目の食材を準備しました。隊員たちの好みや出身地を聞き、その地元のみそやしょう油などの食材も調達しました。食べ慣れた味があることで、人はほっとするからです。南極での食事は、栄養面の補給という面ももちろんありますが、メンタル維持のため、という面が大変大きかったように思います。
 閉ざされた空間で同じ顔のメンバーと毎日過ごしていると、食べることが大きな楽しみになってきます。心がけたことは、食材がなくなる不安を与えないことと、極力日本と変わらない食事を提供することです。日々の家庭の味に加え、お正月やクリスマス、節句など季節の行事食も作りました。氷上での流しそうめんや、おもちつき、コンビニ風おでんや正装でのフレンチや会席など、楽しめる企画を立ててみんなで全力で楽しみました。「同じ釜の飯を食った仲」という言葉がありますが、ただ同じ空間で同じ食事をとるだけでもコミュニケーションが生まれます。お互いの価値観の違いを理解しあい、協力して仕事に打ち込める関係づくりの一助になったように思います。

徹底してロスを出さない毎日。対策は週1回のカレー
苦労したのは野菜類です。持ち込んだ野菜を保存できるのは長くても数ヵ月。現地で水耕栽培をした野菜もありますが、採れる量には限りがあり、調理は冷凍野菜に頼らざるを得ませんでした。また、環境に負荷をかけないため、生ごみと排水にもかなり神経を使いました。そこで活躍するのが週に1回はカレーの日。福神漬けの漬け汁や、缶詰の汁、余ったコーヒーや肉を焼いた油なども全部カレーに入れます。カレーが残ったらドリアやカレーうどんにリフォームして、鍋についたカレーの残りはそぎ落としてスープにするなど、徹底していました。ラーメンのスープも飲み干せる量しか丼に注ぎません。生活水は雪を溶かして作りますが、使いすぎると渇水警報が鳴り、入浴やトイレに制限がかかります。こんな生活を続けていると、日本に帰ってきたときには、物の多さ、食べ物の多さに強烈な違和感を覚え、大きなストレスを受けました。スーパーで売れ残りのお惣菜を見ると、涙が流れてくるような状態が半年ほど続きました。

大切なのは地球の問題と自分がつながりあっているという感覚
南極ではゴミ担当、汚水担当などが決まっていて、トラブルがあると担当者が困ります。私たちは誰が困るのかわかっていますから、その人が困らないように注意を払いました。でも、今の日本の暮らしは、誰かがゴミを処理してくれて、水、電気なども誰かが供給してくれている。顔が見えないことで、ムダを出すことやゴミを出すことに無頓着になっている面があるのかもしれません。開発途上国で飢餓に直面している人々の顔も、ふだん触れる機会が少なく、私たちの暮らしとつながりあっているという感覚が稀薄になっているのかもしれません。
南極は空気がきれいで、息を吐いても白く曇りません。水蒸気が水滴になるときに核となるゴミやチリがないからです。南極での観測は、地球の汚染具合を調べることでもあり、警鐘を鳴らすことが役目だともいわれています。私が南極での体験について語ることで、多くの人々が環境や資源、食の問題について考えるきっかけになることを願っています。

昭和基地渡貫さん

料理以外に、外に出て他の隊員の作業の手伝いをすることも

30人分の会席料理を作る

30人分の食事を作る。この日は盛り付けも繊細な会席料理

主婦の経験を生かしたふだんの食事

ふだんの日の食事。主婦の経験を生かし、家族に食べさせるようにメニューを組む。中央はカレーの残りを活用したスープ

テーブルごとに焼肉

この日はテーブルごとに鉄板を囲んで焼肉。話も弾む

1年4ヵ月分の食材の保管庫

厳重に管理された食品の保管庫。1年4ヵ月分の食材が全部収められている

写真提供/渡貫淳子さん