特集

2005.03.01 Special Issue No.7

Hungry is Angry 飢えは怒り~貧困が招く争い、争いが生む貧困~ 2

special01

INDEX

HFWが貧困と戦っている国、そこで行われている紛争

バングラデシュ

インドとの紛争と与野党対立の激化

インドとの紛争の火種の一つは、1990年代から問題となっている「押し込み作戦」です。これは失業者問題を抱えるインドが、ヒンドゥー教徒が就職しやすくするために、ベンガル語を話すイスラム教徒を強制的にバングラデシュ領に押し込む政策。そのためバングラデシュと国境で衝突、2003年にも交戦がありました。

ガンジス河の水利争いも深刻です。インドが上流で水をせき止めると、下流のバングラデシュでは河の水位が下がり、海水が逆流して農作物が枯れ、船も運航ができなります。またインドは、2000人のバングラデシュ人が違法滞在している、バングラデシュは国際テロ組織を支援しているとして非難。バングラデシュは否定しています。

国内でも、与党バングラデシュ民族主義党(BNP)と最大野党アワミ連盟(AL)が、抗争を繰り返しています。2004年8月、首都ダッカで1万5000 人が集まるALの集会で爆発が発生。その前にも北部で数回、同様の事件があり、少なくとも18人が死亡、360人以上が負傷し、怒ったAL支持者による暴動も起こりました。ALは、前首相のハシナ党首が標的にされたとし、BNPとの対立を深めています。

07_03

主な紛争発生地


ハイチ

暴力で政権奪取が繰り返される

自由と平等を掲げて1804年に独立を勝ち取ってからも、ハイチでは多くの血が流されてきました。

1915年から1934年、アメリカ占領下の反米闘争で5万人、1957年からのデュバリエ大統領による軍事独裁でも5万人以上が犠牲になりました。その息子も1988年まで弾圧を続け、民政復帰後もクーデターが繰り返されました。

1990年、庶民に支持されたアリスティド大統領も、軍のクーデターにより7ヵ月の任期で亡命。軍と警察は、民主化勢力一掃のために1500人以上を殺害したと言われます。1994年には、アメリカをはじめとする国際社会の後押しでアリスティド氏は帰還しますが、混乱は続きます。アリスディド大統領も、民兵によって野党を押さえ込んできました。こうして、人口の1%が国の総収入の50%を独占し、人口の70%が貧困層になるまで、政治の腐敗と貧困が深刻化しました。

2004年2月、武装勢力が蜂起し、アリスティド氏が出国。政変以降は、多国籍軍と警察が治安維持にあたり、一時暴動は沈静化に向いました。しかし、6月に多国籍軍が平和維持活動(PKO)に交代すると、武装集団などが再び台頭しています。

07_04

主な紛争発生地


ウガンダ

反政府組織のゲリラ戦。さらわれた子どもたちが少年兵に

反政府組織LRA(神の抵抗軍)が17年間にわたって多くの人を殺害し、150万人が国内避難民となっています。カルト化が進むLRAは近年5年間で、少年兵や性的奴隷とするため約2万人の子どもを誘拐したと言われています。

2003年3月に政府が和平交渉に失敗すると、女子中学校から少女100人以上を誘拐。北部を中心に襲撃を繰り返しました。2004年2月には避難民キャンプで約100人を殺害しています。政府が掃討作戦を続けているものの闘争終結が見えず、紛争で利益を得ている政治家の存在、1986年から続く現政権の腐敗も指摘されています。

コンゴ民主共和国との国境は、軍撤退合意も成立し、安定化の傾向にありました。しかし、2000年6月にコンゴ民主共和国で暴動が発生。反ウガンダ勢力の侵入が危惧され、緊張が高まっています。さらに、ダルフール紛争(※1)が続くスーダンからの難民に対し、国内避難民が向ける不満も徐々に高まっています。

※1 スーダン西部のダルフール地方には黒人系農耕民族とアラブ系牧畜民族が混在。アラブ系民兵らが黒人住民を無差別に襲撃し、国連によると、5万人が死亡し、20万人が隣国チャドに避難。200万人が飢餓や伝染病の危機に瀕している。「ルワンダ大虐殺以来、最悪の人道危機」ともいわれる。

参考:外務省海外安全ホームページ、『世界年鑑2004』(共同通信社)

注)ハイチ支部は2005年1月に閉鎖し、現地NGOとして組織が存続しています。経緯はこちらをご覧ください。 » 適正化施策最終報告(2006.2.1)

07_05

主な紛争発生地